異色の経歴・フランシスコ教皇

まじめな教義・聖書の話

 こんにちは。
今日は、現ローマ法王でいらっしゃる、フランシスコ教皇について、少しお話したいと思います。
 教皇になられるほどの方というのは、皆がそれぞれユニークで優れた経歴をお持ちなのですが、中でもフランシスコ教皇は特別です。本当に異色と言うべき経歴なのですが、だからこそ新しい時代にうってつけの人材でいらっしゃるのでしょう。
 今回はフランシスコ教皇の経歴のうち、興味深いものをいくつかピックアップして見てみたいと思います。

①初のイエズス会出身教皇

まず、フランシスコ教皇は、イエズス会出身の教皇様で、これは史上初です。
 そうか、史上初なのか、でも、イエズス会出身の教皇とはどういう意味? 修道会司祭と教区司祭の違いがよくわからない…という方もいらっしゃると思いますので、簡単にご説明します。

 実は、カトリック教会で司祭(神父)になるためには、大きく分けて二つのルートがあります。
一つは、教区を通じて教区司祭となるルート、もう一つは、修道会を通じて修道会司祭となるルートです。どちらも「カトリック司祭」です。

教区ルート

 教区とは、教皇を頂点にピラミッド状に成るカトリック教会を構成する、基本的な単位です。例えば、日本であれば、16の教区に分かれていて、北から、札幌教区、仙台教区、新潟教区、さいたま教区、東京大司教区…、と続き、那覇教区まであります。

 一つの教区には一人の司教がいて、その教区の長としての権限を持っており、それがカトリック教会という団体における、基本的な行政単位となっています。
 国別の司教団(例えば日本では日本司教団)もありますが、それはあくまで便宜上の形式的なもので、実質的な基本は教区であり、そして、この全世界の教区を束ねるのがバチカンです。

 そして、教区司祭になるとは、バチカンが統括するこの組織に入って(教区の神学校で学んで)、司祭になることです。日本の教区の神学校は、現在、東京(かつての東京カトリック神学院)と福岡(かつてのサン・スルピス大神学院)の二か所のキャンパスを持つ、日本カトリック神学院のみです。
 教区司祭は、私達カトリック信者が所属する教会の教区で働き、日々の信仰生活の直接の司牧者となります。

 また教区こそが直属のバチカンの組織ですから、基本、教区司祭の中から司教が選ばれ、司教の中から枢機卿が選ばれ、枢機卿の中からローマ法王が選ばれます。これがだいたい通常です。

修道会ルート

 一方で、修道会から司祭になるという道もあります。

 カトリックの修道会とは、バチカンを頂点とするカトリック教会に忠誠を誓うも、バチカンから少しばかり独立して活動する組織です。
 もちろん、独立と言っても究極にはバチカンに従いますから、カトリック教会におけるバチカンの最高性は保たれています。ただし、修道会として独自の活動もするし、教区と協力して何かをすることもある、ということです。

 独自の活動とは、例えば、教育事業や出版業であったり、医療や福祉関係であったり様々です。観想修道会という、俗世を離れて祈りに生きる修道会もあります。
 こうした修道会ごとのキャラクターが、カトリック教会により多彩な色どりを与えています。

 そして、これら修道会もまた司祭を養成する権限があるため、司祭になるには大まかに二つのルートがあることになります。

 修道会経由で司祭になる場合は、教区の神学校ではなく修道会の神学校に入り、そこで同様の修練をします。たとえば、日本のイエズス会では、上智大学の神学部などが、教区の神学校にあたる役割を果たします。

修道会出身の高位聖職者

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、そういうわけで、司教は通常、教区司祭から選ばれますから、修道会司祭が司教になることは珍しいし、ましてや司教→枢機卿→教皇になることは本当に稀です。

 しかも、数ある修道会の中でもイエズス会はこういうことに厳しく、イエズス会創始者のイグナチオは、この世での名声を求めない(=司教などの高位聖職者にならない)ことを最初に決めていました。

 そのため、古くは、イエズス会に入るということは、聖職者としての出世を最初から断念するということでもあったのです。ですので、長らくイエズス会司祭が教皇になるということは他の修道会以上にあり得ないことでした。

 しかし、近年になって、聖職者の数が不足してくると、教区司祭のなかに司教となる適任者がいない…などというケースが出てきたため、やむを得ずイエズス会は、「教皇からどうしてもと指名されたときのみ、司教となることを許す」とルール変更をしました。

 そして、そのルール変更をしてから、イエズス会士でありながら司教となり、枢機卿となり(ここまでは他にもいらっしゃいます)、そして初の教皇になられたのが、フランシスコ教皇というわけです。

 ですから、ちょっとだけ普通の教区ルートで来られた教皇様方とは違い、よりバチカンから遠い?、しがらみがない方、とは言えるかもしれません。
 それが、少しばかり保守的な色のあるバチカンに、新しい風をもたらしているとしたら、それもまた好ましいことのように思われます。

②初のラテンアメリカ出身の教皇

  初のラテンアメリカ出身というより、初の非ヨーロッパ出身と言ってもいいかもしれません。(正確には、例えばペトロは、ヨーロッパ出身とは言えないでしょうし、正教と分かれる前なんかの緒教皇も、ヨーロッパと言っていいのかどうかはわかりませんが、まあ、ある程度の時代に限れば、という感じです。)

 カトリック教会はすべての民のための教会ではあるのですが、その歴史的経緯からどうしても西欧色が強い面もあります。
 しかし、その頂点に立つ方が、非ヨーロッパ出身であるということは、新たな段階に入ったことを感じさせるものではないでしょうか。

 とは言え、実はフランシスコ教皇のご両親は、ともにイタリア移民なので、フランシスコ教皇は血筋的にはイタリア人なんですが…。(でもイタリア語ちょっと苦手らしいです)。

③ナイトクラブの用心棒だった教皇

 ちょっと怪しくなってきました。
 さて、多分、これも教皇として初なんじゃないかと思います。(他の教皇様方が、そういうことをやっていないかどうかは、わからないのですが…)。

 フランシスコ教皇は、教皇に就任された後、自らこうした経歴を世界に向けて明らかにされました。なんでも、若い時、母国アルゼンチンのナイトクラブで用心棒をしていた時期があったのだそうです。なんてこった。

 用心棒という職業からして、武器を持っていなかったとは思えませんし、それなりに暴力沙汰にかかわったことがおありかもしれません。
 また、さらに下種なことを言いますけど、ナイトクラブという場所で働いていて、女性関係が全くクリーンというのはあり得ないような気がします。

 人づてに新教皇を知るイエズス会の神父様にお聞きしたことがあるのですが、フランシスコ教皇、タンゴが上手なんだそうです…。タンゴって、女性と一緒に踊る、すごく情熱的なダンスですよね…。ちょっとやっぱり異色です。

 また、そういえば、フランシスコ教皇は、愛読書として小説の「婚約者たち(イタリアの作家マンゾーニ作)」を挙げていらっしゃったのですが、この本では、若き血気盛んな時に、自分の正義感からならず者たちとやり合い、相手を殺してしまったという過去を持つ神父が出てきます。
 もちろん、こういう愛読書を挙げられたからと言って、フランシスコ教皇が、実際にどういったことを若き日に見てこられたのかはわかりませんが、なにか感ずるところはおありなのでしょう。

 さて、そうした用心棒などの経緯もあってなのか、ご自分が教皇に選任されつつあるとき、フランシスコ教皇は、罪びとの代表たる徴税人の頭であるマタイがキリストから招かれた場面を思い出し、「この私でいいのですか?」と心の中で神に問われていたということです。

 しかし、私は、そういった用心棒などの経歴を率直にお話になるフランシスコ教皇に、むしろ心動かされました。
 また、そういう経験をした人が聖職者を選ばれたということは、そうした人々と渡り合える経験のある方がカトリック教会にお入りになったのだと、かえって力強くも感じました。

 思うに、枢機卿時代に貧しい人と同じバスに乗ってスラム街を訪れていたというのも、逆に言えば、スラム街やそうしたところで起こる犯罪の性質を知っていたからこそ、できたのかなと思います。
 そういう所において、ただの善意の人では、自分が犯罪被害者となってしまうかもしれません。
 そういう経験をされてきたからこそ、できることというのがあり、フランシスコ教皇様はまさにそうした稀な人材だと思います。

④プロポーズして玉砕したことがあるらしい教皇

 まあ、これは10代の少年時代の話らしいので、冗談半分でいいのかなと思うのですが、幼馴染の女性(アマリアさんというらしい?)に恋をして、
「君と結婚できなかったら司祭になる!」と言ったものの、玉砕したらしいです…。

 玉砕したから本当に司祭になったというわけでもないのでしょうが(玉砕と司祭の間に用心棒がある)、多くの歴代教皇様方が幼き日から神父を志して小神学校に行かれた経歴を持つことを思うと、やっぱりユニークです。
 なんだか、親しみが持てる教皇様ですね。

 さて、今回はフランシスコ教皇について、お書きしました。
 そういえば、ヨハネ〇世とか、ヨハネ・パウロ〇世とかという過去の教皇を踏襲した名前ではなく、フランシスコという全く新しい名前を教皇として選ばれたことも、ちょっと珍しいです。清貧の聖人アシジの聖フランシスコから取ったということです。
 当初はどのような呼び名になるのかと思いましたが、フランシスコ一世とかではなく、フランシスコ教皇と、必ず「教皇」をつけて呼ばれることになりました。

 また、お好きなものは、(タンゴをのぞけば)、キャラメルケーキを食べながら見るサッカーの試合だとか。あまり贅沢をされない清貧の教皇の、ささやかな楽しみだそうです。
 日本にいらっしゃった際に、広島教区司教の白浜司教様が、サンフレッチェ広島のユニフォームをプレゼントされたところ、
「私はサッカーが大好きですが、下手でした。サッカー選手になれなかったから、神父になったんです」と言われたそうです。
 アマリアさんと結婚できなかったからなのか、サッカー選手になれなかったからなのか、実際のところはわかりませんが、これが私達の教皇様です。
 高齢でいらっしゃいますが、これからも長くお元気で活動なさってほしいと思います。

今日も読んでいただいて、どうもありがとうございました。
 

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