第三週;一致の道≪受難の観想≫(1)~受難の観想の説明

イグナチオの霊操

ここから、第三週一致の道(受難の観想)に入ります。

苦しみの分かち合い
「ここではまず、苦しみ、悲しみ、恥じ入ることを心から願い求める。
主は、私のこの罪のために、苦難の道を歩まれたのだから…」
(霊操193)

苦しみを分かち合う、それは二つの心を強く結びつける。
聖パウロは言う、「泣く人とともに泣きなさい」(ローマ12.15)と。

晩餐に至るまでの出来事の観想
「歴史を思い起こす。
 キリストがベタニアから二人の弟子をつかわされ、

 その後彼自身も他の弟子とともにそこに行かれたこと、
 過ぎ越しの子羊を食べたのち、彼らの足を洗われたことを思いめぐらす。」
(霊操191)

キリストの体をいただく準備の清め。

最後の晩餐の観想
「…イエズスは、ご聖体のかけがえなく尊いいけにえを、
 ご自分の愛の最高のしるしとして定め、いわれた。
『とって食べなさい』と。」
(霊操289)

ご聖体は「現存するキリスト」。
 イエズスと教会、キリスト者一人一人との一致。
ご聖体は「食物」。
 私たちは、これを拝領し、キリストに似たものへと変わる。
ご聖体は「犠牲」。
 愛する人のために命をさしだすことを望む愛。

受難の観想にあたっての、イグナチオの祈りの方法
1、晩餐に登場する人々を見る。(想像力でもって観想する)
2、彼らが何を言っているか聞く。
3、彼らが何をしているかを見る。
 (こうして見聞きしたことを通して霊的実りを得る。)
 (霊操194)
4、「ご受難の各箇所で、私たちの主キリストが人として苦しまれ、
  また自ら望んで苦しみを受けられたことを思って、自分も苦しみ、痛快し、心から泣く…」
 (霊操195)
5、「神性がかくれられ、敵を打ち滅ぼすこともできたのにそれをされず、
  聖なる人性があれほどひどく苦しめられるにまかされたことを思いめぐらす。」
 (霊操196)

コメント

タイトルとURLをコピーしました