第三週;一致の道≪受難の観想≫(9)~十字架の死(ならびに十字架の聖ヨハネの詩と彼の絵にインスピレーションを得たサルバドール・ダリ)

イグナチオの霊操

受難の観想(第三週七日目)
ご受難全体の観想、十字架から埋葬まで。(霊操208,298)


槍で貫かれたイエズスのみ心。
「そこから血と水が流れ出た。」
そのやりは、救い主の愛を指し示す矢印。イエズスは聖霊のたまもの、秘跡をお与えになった。

やりで貫かれた御わき腹から教会が誕生した。
死はもはや罰ではなく、愛の証となった!
キリスト者の死は、自我に死ぬこと、日々の愛の奉献。

一人ぼっちで、牧童の歌。(十字架の聖ヨハネ)

一人ぼっちで、牧童の、心は痛む、
歓びとも、満ち足りた心とも 縁なく、
羊飼いの少女を思い、
愛に 胸を 痛めぬいて。

愛で 傷手を負ったことを 泣いているのではない、
こうして 悲嘆に沈んでいることにも 心炒めはしない、
心は傷ついていても……
ただ 忘れられている との思いに 彼は泣いている。

美しい羊飼いの少女に
忘れられているとの思いがあればこそ、
異郷で、深く痛みを 心に
手荒く 虐げられるに任せている、
愛に 胸を 痛めぬいて。

牧童は言う、「ああ、私とともにいることを
楽しもうとせず、
私の愛から 遠ざかった ひと」
彼女への愛に 胸を 痛めぬいて!

長い道のりの果てに、彼は木の上で、
その美しい胸を 開いて、
木にかけられたまま、死んでいた、
愛に 胸を 痛めぬいて。

 これは、16世紀にアビラの聖テレジアとともに修道会改革に取り組んだ、十字架の聖ヨハネによる詩です。
 表面上、恋愛の詩のようにも見えますが、これは、私たちを愛し、それにもかかわらず私たちから忘れられていることに胸を痛めるキリストの心をあらわしたものです。
(表面上は恋愛の歌のような形をとりながらも、神からの人間への愛を示すものは、旧約聖書の雅歌をはじめこの他にも多くあります。)

 また、今回この三週七日目の観想にあたり、一番上に、サルバドール・ダリによる十字架上のキリストの絵画を載せています。
 キリストの頭上から世界を見下ろしたようなアングルが特徴的なこの絵は、「十字架の聖ヨハネのキリスト」と呼ばれます。
 それは、この絵画が十字架の聖ヨハネによるラフなデッサンをモチーフにして描かれたことからです。

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