受難の観想(第三週五日目ー2)
十字架を背負われるイエズス。
「イエズスは十字架を背負われたが倒れられ…
イエズスのあとからこれを背負うようにと、キレネのシモンが駆り出された。」
(霊操296)
キレネのシモンは弟子の模範。十字架を担い、いつも主のあとに従う…。
キレネのシモンの数奇な人生
キレネ(クレネとも)から来た旅行者であったシモンという人物は、突然この福音の個所で登場します。
福音書によれば、イエズスがゴルゴタの丘へ向かう途中何度も倒れられたため(このままではこのショーが最後までなされる前に死んでしまうかもしれないことを危惧した?)ローマ兵が、
「シモンというキレネ人が田舎から出てきて通りかかったのを見て、イエズスの十字架を無理やりに背負わせた」ということです。
キレネとは、現在の北アフリカのことであり、シモンは二人の息子アレクサンドロスとルフォスとともに、このローマの属州であるユダヤのエルサレムを訪れていたと書かれています。
福音書には田舎から出てきた旅行者と書いてあるのみなので、彼のエルサレム訪問の理由がどのようなものであったのかわかりません。
時期が時期なので巡礼が目的であったのかもしれませんが、それもはっきりはしません。
なぜ彼が選ばれた?
しかし、息子二人とともに田舎から巡礼に(または旅行に?)来ていながら、突然ローマ兵から目を付けられ、罪人とされる人物とともにその十字架を背負わされるシモンとは、いったい何をしたというのでしょうか。
なぜ彼だったのでしょうか。
おそらくは、ただこの土地の者ではない人だったから、この地のユダヤ人たちのコミュニティに属していないであろう、見るからによそ者だったから、です。
それはつまり、この地に何の繋がりも後ろ盾もないので、ローマ兵にとって気軽に後腐れなく使える駒と判断されたということかと思います。
息子二人を連れて田舎から出てきたシモンは、おそらくは、何らかの人だかりができているのを見て、それを見るために近寄ったのでしょう。
そうしたら、全く関係のない人間でありながら(または関係のない人間であったからこそ)、突然ローマ兵から十字架を背負うように言われ、人々の罵る中をキリストとともに十字架を背負って、おそらくは訳も分からぬまま歩かされたのです。
それは、なんと不運なことでしょうか。
そして、遠い地へ父とともに田舎から来ていた息子二人は、突然何の関連もないのに、公衆の面前で、キリストとともにそのような罰と辱めを受けさせられる父を見ることになりました。
きっとワクワクして父とともに聖都エルサレムを訪れたことだったでしょうに…、そんな異郷の地において受けた彼らの絶望、悲嘆、憤りたるや、どんなに深いものだったことか…、言葉もありません。
全く何もしていない、全く何も関係がない、それにもかかわらず、ここで一人の人間がキリストとともに受難を受けているのです。
これは、もう一つの受難の物語です。
「弟子の模範」
「無理やりに」ローマ兵から十字架を背負わせられ、イエズスの後ろを歩くことになったキレネ人のシモン。
これはゴルゴタに行く途中、金曜日の出来事ですが、この時点では、一番若かったヨハネが聖母のもとに戻ってきたのみで、まだ弟子たちは全員逃げてしまったままでした。
キリストは常々言われていました、「自分の十字架を背負って、私のあとについてきなさい」と。
しかし、ゴルゴタへの道において、弟子たちは誰もそれを実行することができませんでした。
ヨハネはこの後、三人のマリアとともに十字架の下に立ちましたが、彼とて群集の罵声のなか十字架を運ぶ主を助けること、主のあとを歩くことは、できなかったのです。
しかし、その役目をキレネのシモンは負いました。
無理やりに主から呼ばれる、無理やりに主のあとを歩かされる、それはある意味で、ダマスコへの途上でいやおうなく主から呼ばれたパウロや、突然ついてきなさいと言われた元徴税人の頭であるマタイのように、強い召命を受けたとも言うべきものです。
そして、使徒の首位権を託されたペトロも、キリストの特に親しい友人であったヨハネもなしえず、おそらくは一生後悔し続けたであろうことを、クレネのシモンは彼らに代わって成したのですから、シモンはペトロやヨハネはじめ使徒たちの苦しみを減らしたとも言えるでしょう。
キリストが一番苦しい時に、弱い自分たちはそこにいることができなかったけれど、代わりにこの人がそこにいてくれた、ともにゴルゴタへの道を主のあとについて歩いてくれた、私は逃げてしまったけど一番苦しいとき主は一人ではなかった、と。
それは感謝してもしきれない思いだったと思います。
もちろんそれは、キレネのシモンにとっては、また彼の息子たちにとっては、強い苦しみをもたらしたものであったものと思います。
しかしながら、この数奇な縁によって、彼らの人生もまた大きく動き出したとも言えます。
わざわざマルコ福音書に「アレクサンドロスとルフォスの父シモン」と書いてあることから、(女性ならいざ知らず――女性は、〇〇(男性名)の母、〇〇(男性名)の娘、〇〇の妻、などと男性とのつながりでもって表記されることが普通だった――、が息子は父にとって目下の者であるのに、わざわざ息子の名を記してその父であると書く場合には、その息子たちも何らかの理由で知られた者である可能性が高い)、この父子三人は、その後の初代教会のメンバーとなったのではないかと言われています。
彼の息子ルフォスかと思われる名は、このずっと後に書かれたパウロの手紙にも見られます。これがあのキレネのシモンの息子かどうか断定はできませんが、可能性は低くはないでしょう。
パウロは彼を「主によって選ばれた者ルフォス」と呼んでいるのです。
神の呼びかけの不思議
神の選びは人知を超えます。
時に理不尽だとしか言いようのないやり方でなされることもあります。実際キレネのシモンは、ローマ兵の気まぐれを通じて、この運命に選び取られました。
しかし、神はそんなローマ兵の行動をも、ローマ皇帝をも超え、そのすべての悪を善に変える力を持つ方です。
マザーテレサは言います。
「苦しみはそれ自体ではむなしいもの。しかし、それを神に捧げれば、それは人のなし得るもっとも美しい贈り物です。」
キレネのシモンとその息子たちがなしたもう一つの受難の物語は、短い描写ながらそのような真実を雄弁に語っているように思われるのです。
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