こんにちは。
幼児洗礼のカトリック信者の方は、子供の時教会学校で、大人になってから洗礼を受けられた方は、洗礼準備講座で、三位一体について習ったかと思います。
カトリック信者でなくても、三位一体という語は有名なので、聞いたことがあるという方も多いと思います。
が、これがどういうものなのか、結局よく知らないという方も多いのではないでしょうか。
自分にはよくわからないけど、偉い神父様や神学者の方たちは、わかっているんだろう、と思っていたり。
でも、実はこれ、「人間には誰も理解できない」ということが前提になっている教義です。
神は唯一
キリスト教は、ユダヤ教からの流れを持ちますが、双方に共通した特徴の一つは、一神教であることです。
多くの神々を持つ宗教・文化もありますが、ユダヤ・キリスト教では、神は全知全能かつ唯一の存在です。(全能者が二者以上いたら、その二つが対立したらどうなるのかという問題が出てきてしまい、結局二者以上の存在が全能だということはあり得ないので、全能イコール唯一であることと結びつきます。)
しかし、キリストは神を父と呼び、聖霊の存在にも言及した
旧約聖書までは、神は唯一の存在だということは明らかです。
しかし、新約聖書において、キリストは、自身を神であると宣言するとともに、父と呼ばれる天の神の存在のことも教えられたし、また聖霊という存在にも言及されました。
ここで、あれ?なんか父と子と聖霊という三人の神がいる?という感じになってしまいました。
しかし、二者は両立しなければならない
神は唯一であるということは、その全能性とも関連する、旧約からのとても重要な教えです。
しかし、もし、旧約の言葉も、新約のキリストの言葉も、両方が正しいのであれば、両方が矛盾なく両立するはずです。
そこで、教会の人々は、どうにかしてその二者を両立させる理屈(教義)を探し求めました。
その途中では、唯一の神が、三つの仮面をつけて三者を演じている、なんていう言い方もありましたが、単に一人三役というのも、ちょっとねぇ…ということで却下。
しかし、この仮面(ペルソナ)というキーワードは重要でした。
もともと、ペルソナとは、古典劇で使われる「仮面」のことでしたが、転じて「人格」等をあらわす言葉となります。現代のパーソナル、パーソナリティ、といった言葉と関連すると言えば、ピンとくると思います。
そこで、旧約の言葉も新約の言葉も、両方が真実であり、かつ、単なる一人三役でもなく、ということから、
「神は唯一の存在であるが、その中に独立した三つの人格のようなもの(神は人ではないので、人格と言うより神格とでも言った方がいいのかもしれませんが、日本語では、一般には「位格」と呼びます)を持った存在である」
というところに落ち着きました。
これが、「三位一体」の教義です。三つの位格があるけれど、本質的にはそれらは一体である、という意味です。
これは、はっきり言って、人間には理解できない状態です。
人間の感覚としては、人格が本当に独立してあるのなら、それは別の存在じゃないか、と思われますが、あえてそうではないとする。あくまでも神は唯一で全能だから。
自分には理解できないけれど、こういう状態に違いない、というのが、人間にできる最も誠実なところです。
カトリック中央協議会ホームページの三位一体についての項では、
「唯一の神に三つの位格があるという事実は「神秘」ですから、神が三位一体であるという事実を、人間が自らの理性と知識によって導き出すことはできません。
…しかし、イエスが語ることばによって、神が三位一体であることを知ることができます」
とあります。
これが、キリスト教教義の礎の一つである教義であり、それは自分たちには知覚できないことを認める、ことから始まるのです。わからない教義を覚える、皮肉なようですが、同時に、それは重要な態度でもあります。
今日も読んでくださって、どうもありがとうございました。
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