小き花の聖テレジア(4) ~この世での足あと;修道院入会から父の死まで

まじめな教義・聖書の話

 こんにちは。
今回は、小さき花の聖テレーズの4回目です。
 前回、彼女は、規則では16歳以上でないと入れないカルメル会へ今すぐにでも入りたい情熱をもち、「15歳でカルメル会へ入会させてください」と教皇様に直訴に行きました。
 その時には、どうも思わしい答えはいただけなかったようですが…。

カルメル会修道院へ

 さて、教皇様に謁見したその場では「神様がお望みになれば、そうなりますよ」という、あいまいな言葉を返されたのみでしたが、
その後イタリア旅行から帰った後、この直訴が功を奏したのか、もしくは父ルイの尽力が実を成したのか(彼は多くの聖職者方にこれについての手助けをお願いしていました)、その詳細な過程はわかりませんが、
テレーズは、その地の司教様から、特別に15才での入会許可をいただくことができました。
 彼女の歓喜は想像に難くありません。

 もっとも信仰ゆえとはいえ、なんだか小さい子供が駄々をこねて無理を通してしまったような感じもしなくもありませんが…。
 実際、修道院内では、そうしたテレーズへの風当たりもそれなりにあったようで、「彼女を甘やかしてはいけない」と特に厳しく扱われたようです。
 また、すでに姉が二人このカルメル会に入会していたことから、「お姉さん二人と一緒に暮らしたいがために入会してきたのではないか」と疑われてしまうこともありました。
 希望に満ちて入った道で歓迎されないというのも辛かったことと思います。
 しかし、テレーズはそれをすべて受け入れました。
そのときのことをこうテレーズは語っています。
「苦しみは両手を広げて私を迎えました。
そして私は愛をこめてその中に飛び込みました」と。
「それは全て、人々の霊魂を救いたいという望みがあったからこそです。」

父ルイ・マルタンの病

 しかし、それ以上の新たな苦しみがテレーズとその姉妹たちを襲いました。
 テレーズが修道院に入ってまもなくの頃、父ルイ・マルタンが突如行方不明になったのです。
 そして、四日後、存在しない敵との戦いに疲労したマルタン氏は、遠く離れたル・アブール市から送金を願う電報をうったことで発見されました。
 64歳のルイ・マルタン氏のこの状態は、今で言う認知症のようなものだったのか統合失調症のような精神病だったのか、詳細は良く分かりませんが、
とにかく妄想上の敵との戦いの念にとらわれて、4日かけて遠く離れた土地まで徒歩で移動したということは事実であり、これがこの後長く続く闘病生活の幕開けでした。
 知的で聡明で、信心深いマルタン氏がこのような病を得たことは、娘たちにとって大きな衝撃でした。
 そんなマルタン氏は、一時期は回復を見せ、テレーズの着衣式(修道服を身に付ける儀式)に参列することはできたものの、その後次第に病状は悪化し、最終的にはカンの精神病院に入らなければならなくなりました。
 確かに、時に悪魔や反キリスト教勢力などに関する幻想や妄想を持ち、それに反対して活動的に歩き回る彼を常に監視することは不可能でしたから、彼の身を守るためにもこの決定は仕方のないことではあったのでしょう。
 しかし、そうした病状がありつつも、平常時にはマルタン氏にはなお物事を理解する能力も、自己の状態を自覚する能力も残っていましたから、この十字架は誰にとっても胸をえぐるものだったことと思います。
 マルタン氏はかつて、精神病院へ監禁された知人を見て「人間が受けうる最大の試練だ」と言ったことがあったそうですが、その試練が自分に迫ってきたとき、彼はそれを信仰を持って穏やかに受け入れました。
 それは、娘テレーズの小さな道の中核となる”委託”の精神であったといえます。

病院での日々と世間の風

 病院へ着いたルイ・マルタン氏は、カンの精神病院で彼を迎えてくれた修道女の慰めの言葉に対し、
「いえ、これが神様のみ旨なのですから!きっと私の傲慢を砕くためなのでしょう」
と答え、担当医には、
「私はいつも命令ばかりしてきましたが今度という今度は従わなければならないことになりました。
かなりこたえますが…。
でも、なぜ神様がこのような試練をくださったかは分かっています。
今までこのようなはずかしめにあったことがありませんでしたから、どうしても必要だったのでしょう。」
と話しました。
(ちなみに返事につまった担当医は「はあ…、ここの(はずかしめ)はすごいから功徳がありますよ」と答えたとかなんとか。…もっと言葉を選べ!)

 そんな感じで始まった入院生活でしたが、時がたつにつれ父ルイ・マルタン氏の病状は進んで行き…、
そして世間ではそんな彼と娘たちへの陰口もささやかれました。
 テレーズが修道院へ行ってまもなく発症したことから、
「娘がいなくなったことがストレスだったのではないか」
「娘たちに捨てられたのでは」とか、
また、ルイは若いときから日々とても厳格な生活をしていたことから、
「あのような厳しすぎる生活は、かえってよくなかったんじゃないか」とか、
まあ陰口も様々だったようです。
 これがどれだけ娘たちの心を傷つけたことでしょう。
 しかし、娘たちは父と同様、それをまた委託の心で受け入れました。
 このときテレーズは姉にあてて、このような手紙を書いています。
「ご一緒に島流しの苦悩(父の病)を味わっています。
この苦しみ、悩みに満ち満ちた地上にとどまり、生きていくのはなんとつらいのでしょう…。
すべてのものから私たちの心を引き離すために、主は断固たる処置を取られました。
でも、それは愛ゆえでした。」

父の死

最後の日々

 父ルイは3年間、このカンの精神病院で過ごしました。
 が、その後脳梗塞のようなものを起こして半身不随となり、もはや歩き回ることができなくなったため、精神病院で24時間監視する必要はなくなりました。
 それで、娘たちの強い懇願によって叔父ゲラン(母ゼリーの弟で、父が病に倒れてからは、姉妹たちの親代わりのようになっていた)はルイ・マルタン氏を引き取ることに同意しました。
 ゲランは、彼らのために自宅のすぐ近くに一軒家を借り、まだ修道院に行っていなかった二人の姉妹(セリーヌとレオニー)が使用人たちの助けを得て、父を看病できるように取り計らいました。
 こうして、最晩年、父ルイ・マルタン氏はとても穏やかで美しい環境において、娘二人とともに暮らすことになりました。
 祈りと静けさのうちに過ごす日々は、マルタン氏の人生の最後にふさわしいものだったといえましょう。
 そして三年後、発病から数えると6年後、ルイ・マルタンは71歳で静かに愛娘セリーヌに見守られながら帰天しました。

ルイの性分

 若いときからルイは、信心深くも活発で機転の利いたゼリーとは違い、もの静かで祈りを愛し、俗世にありつつも俗世とは離れた雰囲気を醸す人でした。
 まるで修道院の中で暮らしているかのように、厳密な規律を守り、食事の時間以外は飲み食いをすることもなく、また足を組んで座ることすらしませんでした。
 ミサは毎日早朝のものに与りました。早朝のミサは、使用人など貧しい人々が出席するものだったからです。
 また、長女マリーがチフスにかかって死線をさまよったとき、彼は愛する娘のために治癒を願い徒歩かつ断食の巡礼の旅に出ています。
 日本で言えばお遍路さんのようなものでしょうか。神仏に何かを願うときに苦行を伴わせるという感覚は同じですね。
 もっとも、そういう感覚も娘への思いもわかるのですが、しかし、娘が重病でその看病に疲れ果てていた母ゼリーは、巡礼の旅に出てしまった夫を見て、いったいどう思ったでしょうか。
 ルイは信仰深くて素晴らしい人徳者なのだけども、あまりに俗世離れしすぎているため、現実を生き抜くためにゼリーは強くならざるを得ず、ちょっときつい性格?になってしまったのかもしれない、、などと邪推してしまいます。
 そんな父ルイでしたが、人生の最後の6年間には壮絶な試練を受け入れました。
 それは本人にとっても娘たちにとっても、大変辛いものでしたが、同時に娘たちに大きな霊的成長を促しました。
 ですから、それは親として与えることのできる娘たちへの最後の教育であったと同時に、また親を通じて成された神からの試練という名の贈り物だったと言えます。

テレーズに与えた影響

 テレーズは、15才で修道院に入り、24才で帰天していますから、その修道生活は9年間でした。
 そして父が発症したのが、テレーズ入会のすぐ後でしたから、テレーズは実に9年間のうち、6年間は父の病を遠く離れた修道院の中から思う日々だったわけです。
 当時は、観想修道会の修道女たちは修道院から出ることができませんでしたので(今はそうではありませんが)、父への愛とともに父の看病にすらいけない自分の無力さに打ちひしがれたに違いありません。
 そしてまた、末っ子テレーズの修道院入会が父の病いの発症の原因になったのではないかという世間の陰口もまた、彼女を苦しめたことでしょう。
 時に、何の根拠もない陰口よりも、一部事実であったり、ほんの少し”もしかしたらそうかもしれない…”と思ってしまうようなものの方が、自分の良心に刺さってそれを無視してはいけない気持ちにさせ、結果人をより苦しめることがあるかと思うのですが、この場合もそうだったのかもしれない、となんとなく思ってしまいます。
 しかし、そうしたものも全て、心と耳を閉じて無視するのでもなく、かといって論理的に挑むのでもなく、またもちろんその陰口に同意してしまって自分の心を痛めつけるのでもなく、信仰を持ってただ受け入れることで悪から善へ180度変わります。
 これがテレーズの見つけた小さな道であり、神のわざの不思議です。
以下この頃のテレーズの手紙より抜粋です。
「島流しの人生のあらゆる出来事をつかさどられるのは神様だけです。
時折、主はみ手を差し伸べて、苦い杯を差し出します。
でも、わたしたちには主の姿が見えません。主は隠れ、尊いみ手をおおわれます。
主の声は聞こえず、人々の声は少しもわたしたちを理解してくれないように思え、心は苦しみます。
…そうです、一番つらい苦しみは、理解されないという苦しみです…。
しかし、本当は、私たちにとってこのような苦しみはありえません。
なぜって、私たちが見つめているのは主なのですから。
イエス様がお隠れになればなるほど、ますます主が私たちのそばにいらっしゃるのを感じます…」

 さて、長くなってしまったので、今日はここで終わりにします。
今日も、読んでくださってありがとう。
次回は、テレーズの修道生活後半から帰天までをつづりたいと思います。

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