第六戒「姦淫してはならない」

まじめな教義・聖書の話

こんにちは。
次は、第6戒の「姦淫してはならない」です。

まあ、これも社会一般の道徳と、まあ離れてはいないんではないでしょうか。
ゲス不倫とか言いますもんね~。

とは言え、ゲスなのは、多分みんなわかっているけど(たまに文化だと開き直る向きもありますが)、それでも完全にはなくなりません。
人類が存続する限り、きっとなくならないでしょう。
そういう意味では、確かに文化の一部なのかもしれませんが、そう言ってしまえば泥棒や殺人だって同じことですよね。

完全には除外できない、ずっと人間の一部であり続けて、絶対完全になくすのは無理なものだとわかっていても、それでもなお、失くそうと努力し続ける。
それもまた、人間の文化の特徴ではないでしょうか。

しかも、カトリックの第6戒の場合、それ以上のことをも含んでいるようです。

貞潔の意味

 貞潔。
「姦淫してはならない」を考えるときに、その前提となることばです。

これは、まず、もちろん婚姻関係にある男女に、特に関わりのある語と言えます。
 が、もしこれを結婚した人だけに適用されると表面的に考えるのなら、その深さを見失います。

”貞潔とは、人間の内部で性欲がうまく統合され、肉体と精神の両面で人間の内なる一体化が実現されることを意味します。
性欲は、人間の肉体的、生物学的世界への帰属が表現されるものであり、人間同士の関係に統合されると、個人的かつ真に人間的なものとなります。”(カトリック教会のカテキズム#2237)


 こうした状態を「貞潔」であるとするならば、姦淫せず、真に貞潔であることは、現実的にいわゆる不貞行為をしていないということだけではありません。
 いわゆる不貞をしていなくても、誰にも会わなくても、貞潔から遠く離れた状態であるということはあり得ます。

 愛そのものである神は、その自らの中に生きた交わりの神秘を持っておられます。そして、その神に似せて造られた私たちにも、その中に愛と交わりの使命を刻み込まれました。
 確かに、その最も象徴的なものの一つが男女の性であり、実際、そこに人類存続の礎が置かれています。ですから、男女の性的な関係における貞潔が、とても大事であることは間違いありません。
 しかし、同時に、この第6戒は、神の似姿としての交わり全般に関し、生殖のみならずもっと広いものを示すことができます。

 たとえば、キリストの示した友情は、天国で神にとともにいる者たちと分かち合うことを私たちが期待している永遠の交わりが、この地上で示された例です。
 そして、この交わりもまた至高のものです。精神と肉体を持つ人間がなす全人的な交わりであるから、広い意味での貞潔と関わる行為です。
 このように、男女の交わりのみならず、神との交わり、人との交わり、そして自分との交わり(自分の中での人間的な統合)においても、広い意味での「貞潔」という視点が大事になります。
 そこから足を踏み外すと、その時は気分が良くとも、そのうち自分が中からバラバラになり、苦しむことになるからです。

罪からの癒しにおける、治療薬としての「貞潔」 byアウグスティヌス

 さて、これは、私も良く理解できないのですが、「貞潔」というものが、罪への治療そのものとなることもあるようです。

 聖アウグスティヌスは、放蕩の生活から足を洗いたいと願ってはいても、それを実行にうつすことが長くできませんでした。
 色欲から清められたいと願ってはいても、いざそれを離れる段になると恐怖を感じ、それを先延ばしにしたいと願う。色欲に溺れながら、刹那を楽しみながらも、それから離れられない自分を責め、苦しんでのたうち回る。
 彼は、そんな空虚な生活を10代後半から30代前半まで送ったようです。

 しかし、変に聞こえるかもしれませんが、色欲とむしろ反対に思われる貞潔、色欲から離れての遠くにあるゴールのように思われる貞潔が、むしろその色欲からアウグスティヌスを救い出しました。
 彼は言います、「貞潔を通して私たちは集められ、統一へ引き戻されるのです。」

 これは、私には深すぎて理解できません。しかし、アウグスティヌスが言っているのですから、きっとそうなんでしょう。彼の言うように、貞潔は、目標や結果であるだけではなく、その過程にも関わる、罪への治療法でもあるのだろうと思います。

 性欲をはじめとする欲求に振り回されたり、心と体双方において、自分の内部での統合が取れなくなってくる(貞潔から離れる)と、人は苦しみます。
 苦しまないためには、大きく踏み外す前から、なるべく節制をした方がいいのでしょう。
でも現実には、わかっていても、節制よりも欲求の方が快く思われることが多いです。ですから、私たちはそれを道徳とか決まりとかという形にして、不快であっても自分たちをある程度しばりもします。
 でも、それでも、貞潔の逆、「姦淫状態」におちいってしまうこともあります(いわゆるゲスなやつだけじゃない広い意味での姦淫状態も含め)。そういえば、旧約では、神へのイスラエルの裏切りをしばしば「姦淫」と表現します。
 しかし、そんな姦淫状態にあって苦しんでいる時、貞潔がむしろ向こうから歩み寄って、私たちを救ってくれることもある…ようです。
神秘ですね。

今日も、読んでくださって、どうもありがとうございました。
今回は、しばらくぶりの更新でした。

それから、ゲスゲス言ってすみませんでした。ゴロがいいし、一言で言い表せるから便利でつい…。
でも、みんなが不倫をしているわけではないと思うけれど、そんなに少ないわけでもないし、それ以上の悪いこともあるし、そうでなくても、誰でも悪いことは大なり小なりしているものですのに、そんな自分の過ちが日本中にバレるってことは、まず普通の人ではないことで、、、
ベッキーさんは、その意味で本当に気の毒だと思います。
ですから、ゲスとか言いやすくて言ってしまうけど、私は彼女を責められないです。

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