第七戒は、「盗んではならない」です。
多分どんな社会にも存在する決まりなんじゃないでしょうか。
自分のものが盗まれないという保証をもらう代わりに、自分も相手のものを盗まないと約束する。そうするとお互いに安心して住めるようになります。
ジャイアンみたいに、他人の物を盗ってもそれを正当化する力のある権力者からすれば、メリットがあまり多くないルールかもしれませんけど、どんな権力者でも全く他人の協力なしで生きていけるというものでもないでしょうから、きっと長期的には利するところもあるのでしょう。
しかし、もし、強者と弱者の色分けが既にはっきりしている社会でだとか、もしくは強者がさんざん他人の物を搾取した末に、このルールを設定したとしたら、正当性が見かけ上のものになってしまうこともあるかもしれません。
たとえば、代々続く大金持ちの貴族と、代々何も持っていない平民たちがいる社会において。
そんな中で、貴族の財産を平民が盗んだとしたら…。
その目的によっては、それを単純に「盗み」と呼ぶのは違うこともあるのかも。
そうなると、それを理論として体系化したのが共産主義なのかなという気もします。
そして、ある意味では、その精神は人類が普遍的に持つ理想でもあるように思いますから、その場合十戒をどのように捉えればいいのかと悩んでしまいますね。
こういうことを考えていくと、この「盗んではならない」はどういうところまでを指しているのかなとわからなくなってきます。
ちなみに、聖書における「盗んではならない」の元来の意味は、人を誘拐したりだとか、人を奴隷にしたりだとかで「人を盗む」「人の自由や人生を盗む」という意味だったらしいというのを聞いたことがあります。
そういえば、単に泥棒がダメというのであれば、第十戒の「他人の持ち物を欲してはならない」とほぼ被っている感じがしますから、それもまあ納得です。
そして、そうすると、たとえば社会変革などで、市民のものにするために王族から財産を奪う、というような場合は、「他人の持ち物を欲する」というのとは質が違いますから、ある程度の整合性がつきますね。
とは言え、一般的に言って、ウソをついた子供に「ウソつきは泥棒の始まり」とかと言うくらい、普通は泥棒って悪いことですから、その字面通りにとっても悪くはないんじゃないかという気がします。
今日も読んでくださって、どうもありがとうございました。
第七戒「盗んではならない」
まじめな教義・聖書の話
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