トマへのご出現
イエズスは弟子たちにお現われになった。
そしてトマに言われた。
「ここにあなたの指を入れ、真実だと悟りなさい。信じない者ではなく、信じる者になるように」
トマは信じて言った。
「私の主よ、私の神よ」
するとイエズスは彼に言われた。「見ないで信じた者こそ幸せなのだ」
(霊操305)
一般にトマは、このエピソードによって疑い深い人物とされたり(伝統的には特に西欧において)、もしくは、実証主義的な人物とされたり(特に東方正教会の伝統において)します。
そのどちらもなるほどという感じがしますが、どちらにしろ、このトマの言動によって、復活後のキリストの身体についての具体的な描写(幽霊のようなものでもないうえ、実際の傷跡もあったらしい)が残され、さらには「見ないで信じる者は幸い」という後の世のもはやキリストを見ることができない世代へのメッセージのような言葉も残されましたから、私たちはトマに感謝しなければなりません。
ところで、福音書によると、復活後のキリストが弟子たちに現れたとき、トマは居合わせませんでした。(ヨハネ20.24)
いますよね、こういう間の悪い人。(ちなみに筆者もなぜかこういうことが多いです。)
運が悪かったといえばそれまでなのですが、でも、場合が場合ですから、これって、トマにとっては本当に悲しいことだったんじゃないでしょうか。
ほかの仲間たちが「私たちは復活した主に会った!」と興奮してしゃべっているとき、自分はいなかった…、自分がいないときに、主はみんなに現れた…と。
なんでですか、なんで僕がいないときに会いに来るんですか、なんで僕には会いに来てくれないんですか、という気持ちになったかもしれない、と思います。
ですから、その上での「私は、あの方の手の釘の傷跡を見、この指をその釘の後に入れてみなければ、またこの手をわき腹に入れてみなければ、決して信じない」という言葉だったのかもしれません。
でも、そんな疑い深い、もしくは実証主義的な、もしくはいじけて面倒くさいことになっていたトマに対し、キリストはちゃんと応えてくださいました…。
第四週;一致の道≪復活の観想≫(7)~トマの葛藤
イグナチオの霊操
コメント