「奇跡」を尊ぶことの難しさ~アメリカで出会ったある信心深い人々の展示会に思うこと

まじめな教義・聖書の話

こんにちは。
今回はカテキズムとは少し離れ、私の個人的な体験から考えたことをお話ししたいと思います。

「奇跡」を尊ぶということ

四旬節でのイベント

それはアメリカでのことです。
 アメリカのあるカトリック教会では、四旬節の時期に多くの信仰にかかわるイベントを開催していました。それは、有識者の講演から、信心にかかわる歴史物の展示など幅広いものでした。
 そして、そのすべてがボランティアによって運営されており、その規模からしても期間からしても彼らの犠牲は本当に大きいものであることが見て取れました。
 私は、つたない英語力ながらそれのいくつかに参加し、話について行こうと必死でメモを取ったものです。

 ただ、素晴らしいものも多かったのですが、正直に言うと、参加すれば参加するほど、「本当にこれは信仰なのか?」とかすかな疑問がわき出てくるような、不思議な性質を持った催しでもありました。
 でも、自腹で働く多くのボランティアさんの活動に対してそんな失礼なことを考えるべきではないと思ったし、また私の感情もその場その場の熱狂にのまれ、わずかに湧き出てくる疑問を自分で押し潰して、一緒にこの信心深い良き人々と感動したい、と望んでいた部分もあり、それに参加し続けました。

写真展

 が、そのかすかな疑問が確実に自分の中でも無視できないものに変わる時が来ました。
 それは、一連の催しの一つである写真展においてです。それは、「奇跡」にかかわる写真の数々でした。
 私は順に写真を見ていきました。
最初の方では、「奇跡の証拠」として、血のようなものがついた聖体の写真が何枚かありました。
 説明を読んでみると、「19〇〇年(細かい年数や場所などは忘れましたが、そこには詳細に書いてありました)、〇〇州〇〇教会において、〇〇神父が聖体を水につけたところ、その聖体から血があふれ出た。聖体は真にキリストの体であるという証である」というようなことが書いてありました。そして、その写真はその時の証拠だということでした。

 それを見た時、私は、これは本当なのだろうか?とまず思いました。また、本当だとして、これに何の意味があるのだろう?とも思いました。そして、もしこういうことを誰かが捏造したとしたら、それは詐欺じゃないか、とも。
 もっとも、悪意ではなく、もしかしたら、なにかの拍子にこういうことが偶然起こって、それを奇跡だと勘違いしただけなのかもしれませんが、でももし、誰かが「人々を悔い改めさせるために」こういうウソをつくことは良いことだと考えて、あえてこういう詐欺まがいの奇跡を起こしたとしたら、それはむしろ普通の詐欺よりも悪質なようにも思われました。傲慢の極み。

 しかし、この時まだ私は自分を無理に納得させようとしました。
 もしこれが意図的な嘘だとしたら、それは良いことではない。しかし、どんな集団にも、不完全な部分はあって、それはカトリック教会も同じだ。どんな団体も一枚岩ではなく、いろいろな人がいて、暴走しがちな一派はいるし、保守的になりすぎな一派もいるし、革新的すぎる一派もいるものだ。この「奇跡」は何もトップであるバチカンが認めたものではなく、カトリック教会に属する一部のカトリック有志がやっていることに過ぎない。
 であるとしたら、これだって、何も誰かを傷つけているのではないのだから、まあそんなに害という害もないのではないか――。
 私はそんなことを思いながら、(そしてそういう写真に感動している周囲の人々に少し申し訳ない思いを抱えながら)、他の写真を見ていきました。

 多くの他の写真も、似たようなものばかりでした。
 聖骸布をエックス線で見たところ新事実が分かった、だとか、何かの聖遺物に触れたところが変化しただとか。冷めていく自分の気持ちの行き場がないまま、せっかく来たのだから最後まで見ていこう、という気持ちでした。
 ところが、ある写真の前に来て、私は立ち止まりました。
それは、広島の原爆の写真でした。

奇跡とは何か

「1945年、広島に原爆が落ちて、非常に多くの人々が亡くなり、また近くのほとんどの建物は焼失した。しかし、広島の爆心地近くにあったイエズス会修道院は、その爆心地からの距離にもかかわらず倒壊せず立ち続け、そして、そこに住んでいたドイツ人、スペイン人の神父たちは全員が生き残った。これは、彼らの信仰と日々のロザリオの結果である。」

 こんなことが書いてあったと思います。
私は、これを読んだ瞬間、体中の血が沸騰するような憤りを感じました。

 実は、私は、広島で被爆した修道院のことも、そしてそこで生き残った聖職者の方々のことも、当時を直接知る方々から聞いたことがあり、それなりに知っていました。
 その建物は、戦前に建てられたのですが、確か当時ドイツ人の神父様で建築の心得がある方がいらっしゃり、その方がとても丈夫に設計されたため、他の日本の建物とは違って爆風にも耐えたものでした。(そして、私の記憶が正しければ、原爆を耐え抜いたその頑丈な建物は、戦後に神学生の寝タバコで全焼するという、残念な経緯をたどりましたが。)
 また、原爆投下直後、生き残った神父様方は負傷者たちの救護にあたり、戦後には平和のために尽力したことも知っていました。決して、彼らは、自分たちが生き残って多くの日本人たちが死んだことを、信仰の賜物だとか奇跡だとかなどとはおっしゃいませんでした。
 
 これは、私が日本人だからというのもあるかもしれませんが、それ以上に、キリスト者として、カトリック信者として憤ったように思います。
 こんな奇跡があってたまるか、これは血が出た聖体よりももっと危険な、人を惑わす偽信仰だと。

対話と善意

 私は、こうした広島に関する知識(建物が実際に周囲のものよりも頑丈に作られていたことなど)を周囲にいる係りの方(ボランティアの有志の方々)に言おうかどうか、悩みました。
 言ったところで、訴えている中身を聞いてはくれず、「ああ、また日本人が原爆のことで何か文句を言っている。自分たちが先にやったくせに」と思われるのがせいぜいかもしれない、と思われました。
 もし、ただうるさい日本人が、いちゃもんをつけに来たと思われて、その場の雰囲気と相手の気を悪くする(ついでに日本人の評判も落とす)だけならば、それは言わない方がいいのではないかとも思いました。
 しかし、葛藤の末、私は広島の建物などに関して彼らよりも情報を持っているのだから、それを言うことは務めであるとも思い、気持ちを振り絞って、声を掛けました。

 そして、結果はと言うと――、彼らは、全く怒りませんでした――が、でも私の言うことを全く受け止めてもくれませんでした。
 私が何を言っても、満面の笑みで「オー、そうですか、素晴らしい」と返し、最後には「素晴らしいことをシェアしてくれてどうもありがとう」ととても柔和な表情で――そのボランティアさんは60代か70代くらいのとても柔和なお顔をした男性の方でした――、私に感謝されました。
 日本人は若く見えるので、もしかしたら本当はいい年の私を学生のように思ったのかもしれません。そういう態度でした。
 そして、その方が、本当に柔和な方で、善人としか言えないお顔つきで、しかも丁寧にお相手くださったものですから、私は…、いっそう打ちのめされました。

奇跡と信仰の難しさ

 その写真展にはまったく同意できませんでしたが、同時にそれに関わった彼らが悪人だとも決して思えませんでした。それは、実際に話し触れ合った感じからして、本当にあの柔和なお顔が作り物ではないことを肌で感じ取ったからです。
 強いて言えば――、こんなうぬぼれた言い方が許されるものかわかりませんが――、あまり聡明なタイプではない人だったのかもしれない、とは少しだけ思いましたが。

 四旬節を迎えると、毎年このことを思い出します。
バチカンは奇跡の認定に関して、近年とても慎重になっており、「ルルドでの出来事も、今だったら奇跡とは認められなかっただろう」とも言われるほどです。
 おそらくバチカンには、血の出た聖体のような類のことが、大量に世界中から報告されているのでしょう。
 聖体やキリストの彫刻から血が出たとか、マリア様の御像から涙が出たとかバラの香りがしたとか、そういうのはまあ、本当かも知れないし、勘違いかもしれないし、ウソかもしれません。私にその判断はできませんが、まあそれ自体はそんなに害もないのかもしれません。
 でも、やっぱり「奇跡」と言われるののの中には、何か人をつまずかせるものもあるように思います。もちろん本物の奇跡もあるのだろうと思うけれど、そうでないものの方が圧倒的に多いような気がします。

 私自身、日々の些細なことに意味を持たせてしまうことがありますが、それとて私の主観に過ぎず、危険をはらむこともあるのかもしれません。
 そう考えると、信仰は人の生きる糧にもなるし、本当に神がこの世界に普段と違うやり方で介入をなさること(≒奇跡?)もきっとあるとは思うけれど、同時に、それは常に本当に危うい一面をも持っているように思え、恐怖を感じます。
 とはいうものの、それでもなお、信じながら生きていくしかないのが人間でもありますから、仕方がありません。これをどうやって扱っていくべきなのか、答えは見えませんが…。

今回は、結論の出せないままに書いた、カテキズムや聖書と直接の関係のない、私の個人的な体験でした。尻切れトンボな感じですが、これ以上わからないので、今回はこれで終わりです。
 読んでくださって、どうもありがとうございました。
 

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