第二週;照らしの道(1)~キリストの騎士となるために

イグナチオの霊操

清めの道による反省と清めを経て、ここから照らしの道に入ります。
 イグナチオ自身がかつて国王に仕える騎士だったことから、その回心後もキリストの騎士という言葉がよく出てきます。
 実際、イグナチオはその回心の最初に、モンセラットのベネディクト会の修道院聖堂にて、それまで自分が身に着けていた騎士の服を脱ぎ去り、また剣をキリストの祭壇の下に置き、これからの自分の生涯をすべてキリストに捧げることを誓っています。
 騎士は主君から肩に剣を受けることで、その忠誠を誓うのですが、それを若きイグナチオは模したようです。
その後、粗末な服に着替えてマンレーサの洞窟に向かい、そこで霊操についての観想を始めるのです。

照らしの道に入るにあたって、
ひたすらに一つの恵みをこいねがう。

「キリストの呼び声に耳を閉ざさず、いとも尊いみ旨を果たすために、いつも備え、注意していることができるように…。」
(霊操91)


 余談ですが、アウシュビッツで殉教した聖マキシミリアノ・コルベ神父様も、聖母の騎士会という会をつくられていました。(ちなみにコルベ神父がかつて長崎におられたことから長崎に本部があり、在俗のままで入会できます。)
 当初私は、騎士というのは戦争のための職業だというイメージがあったので、少し違和感がありました。
 しかし、騎士道というものは、その真髄において修道生活とリンクする部分もあるのかもしれません。
 騎士道の規範にある、神への献身、主君への忠誠、友への誠実、弱者への守護、女性への奉仕…などを考えてみると、(女性への奉仕はともかく)、あとは剣を祈りの本に持ち替えるだけ!で、なんか全般的に修道者みたいです。

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