小さき花の聖テレジア(2)~その日々と家族

まじめな教義・聖書の話

テレーズ・マルタンの地上での日々とその家族

 前回は、リジューの聖テレーズ(小さき花の聖テレジア)の小さい道についてご紹介しました。
 今回は、彼女がこの世で送った日々の生活の中の出来事や、彼女を取り巻く家族などについて、少し書いてみたいと思います。

両親の召命とテレーズの誕生

 1873 年フランス、テレーズは、父ルイ・マルタンと母ゼリーとの間に生まれました。
 五人姉妹の末娘で五女ですが、すでに姉二人、兄二人が幼くして亡くなっていましたので、 実は九人きょうだいの末子とも言えます。
 父ルイも母ゼリーも若い日には修道生活を志していました。
 しかし、ルイはとても聡明な人ではあったものの、当時修道院に入るのに必須なラテン語などの高等教育を受けていなかったため、修道会に入る事はできませんでした。
 またゼリーはというと、どういうわけか(本当になぜかよくわからず、理由が示される事もなく)女子修道院長から入会を断られ、その道が閉ざされています。
 彼女が断られたのは何故だったのか。
 優秀な若い女性に全く何のチャンスも与えずに門前払いをするとは現代では考えにくいのですが、
当時の社会状況などからすると修道会の経済面や安全面などでの懸念(1820年代頃のことですから、まだまだフランス革命後の反カトリック勢力が強かった)などがあったのかもしれませんし、
もしくは、この修道院長には「この娘は結婚をするべきだ」という、何らかのインスピレーションがあったのかもしれません。
 結果として、それは正しかったのでしょう、彼女から生まれた娘たちはみな修道女となって その召命を生きましたし、特にそのうち一番年下の子は後に教会博士にもなりましたから。

両親と姉妹たち(1)~特に母ゼリーと三女レオニー

 静けさと祈りを愛する、寡黙な時計職人の父ルイと、アランソン・レース(その地方の名産品)の生産を手がけ何人もの工員を抱えるほどになった、現実的な頭の良さもある母 ゼリー。
 そして、テレーズの上には、マリー、ポリーヌ、レオニー、セリーヌという 4 人の姉がいました。
 それぞれ利発でかわいらしい子供だったようですが、レオニーだけがほんのちょっと違っていたようです。
 もともと特に虚弱であり、さらに今でいう知的障害のようなものがあったこの子は、家でも学校でも際限なく人に迷惑をかけてしまい、常に母ゼリーを悩ませました。
 2008年にベネディクト16世によって夫ルイとともに福者に上げられ、
2015年にはフラ ンシスコ教皇によって同じく夫とともに聖人に上げられたゼリーですが、
そんな彼女も、特に若き日には、レオニーの育てにくさに閉口し、
「マリア様は、なぜこんな子を助けてくださったのでしょう。まるで悪い冗談のようです(虚弱で何度も死線をさまよったレオニーが助かったことに関して)」
などと言っています。
 そのときはゼリーの姉が、そんなことを言うものではないと諌めたようですが、そのような発言は、聖人どころか一人の母親として好ましいものではないでしょう。
 もちろん、障害を持つ子供を育てることは大変なことであるし、またゼリー自身が母親との間に確執をもっていたようですので、それと関連があったのかもしれませんが…、だからといって褒められたものではありません。
 しかし、真に信心深い彼女はそこで終わりませんでした。
 真の信仰は生き生きとしたもので、絶えず変化し成長をうながします。
 彼女は母としての召命を受け止め、子供とともに成長していきました。

 ゼリーは46歳のとき乳がんでこの世を去りますが、その最後の日々には、一番心にかけたのはほかならぬレオニーとなっていました。
 昼はみなに心配をかけまいと痛みを我慢して朗らかに過ごし、夜はレオニーとともにレオニーの部屋で休みました。
 8才だったセリーヌと4才だったテレーズではなく、14才だったレオニーを優先して、一緒に寝た彼女の気持ちがわかるでしょうか。
 こうなるまでに、何か劇的な変化を促すような出来事が二人の間にあったわけではありません。
 ただ、ゼリーは時に愚痴りつつ苦しみつつ、日々の子育てに信仰をもって向き合い続けただけです。
 また、最後の病床で彼女は、
「命が惜しいとすれば、それはレオニーのため…。私が死んだら、誰があの子を可愛がってやるのでしょうか」
とも言っています。

 彼女はもともと、結婚して母親となることが望みではなく、修道女として生きることが望みでした。
 その修道院への憧れは終生やむことはなく、子供を持つ母となった後でも、修道院を何かの機会に訪れると涙を流さずに入られませんでした。
 しかし、そんな自分の心の奥底から湧き上がってくる修道生活への思いを、
「修道院長が許可なさらなかったのだからそれが神のみ旨だったのでしょうし、また、もし修道生活に入っていたら、この可愛い子供たちがいなかったのだから」
と自ら律していました。
 きっと、彼女の修道生活への思いというものは、画家がパンより絵の具を買いたいというのと 同じような、なにか理屈を超えたものであったのだろうと思います。
 しかし、彼女は神様からそのように創られていながら、彼女に神様が与えた召命は違いました。
 それはある意味残酷な感じもします。
 しかし、神のみ旨ならばと受け止めて自分の願いを捧げたゼリーは、信仰をもって母としての召命の道をたゆまず歩み、
若き修道者を育てる指導者のような生来の厳しい高潔さに加えて、
理屈を超えた愛で娘を育てる母の情をもその本性として身に着けるに至ったといえるのではないでしょうか。

 夫婦での列聖は史上初です。
 しかし、その他のすべての母親と同様、のちにここまで上げられたこの母親も、母親として過ちを全く侵さなかったという訳ではありません。
 しかし、本当の信仰は自分の過ちを認めて成長する力を与え、さらにはその過ち以上のものを生み出します。
 そして一修道女となる召命を諦め母親となった彼女から、五人の修道女が生まれました。
 五人の修道女…、そう、レオニーもまた、何度ものトライの末、修道女として祈りの生活を 全うするのです。
 体が弱く、幼少時に何度も死にかけたレオニーは、1941年に78才で聖母訪問会の修道院にて静かに息を引き取りました。

両親と姉妹たち(2)~姉妹たちについて

 末っ子テレーズの上には、4人の姉がいました。マリー、ポリーヌ、レオニー、セリーヌで す。

 マリーは、どちらかというと父に似て、物静かで、時に風変わりにもなってしまうこともある、信心深くロマンチストな少女でした。
 この点では、一番末っ子テレーズと似ているかもしれません。
 また、長女らしく責任感があり、母が「私が死んだら誰がこの子(レオニー)を可愛がってくれるでしょう」と言ったときに、
「ママ、わたしが!」 とすぐに答えたのもマリーでした。
 そんなマリーは、のちにカルメル会の修道女となり、院長にまでなりました。

 次女ポリーヌは、快活で母似でした。
 学校の友達から「あなたの親戚に貴族はいる?」と聞かれて、存在しない貴族の叔父さん( しかもそれらしい名前まで)を発明してしまったり(頭の回転は早い)、
自分の代父(洗礼の際の後見人的な人。いわゆるゴッドファーザーです)とマリーの代父を 比べて(ともに親戚のおじさんですが)、
「私の代父は髪の毛があるけど、あなたのは全然ないのね!」 などとからかったり。
 本人はマリーをからかったつもりだったようですが、この場合、からかわれたのは代父になってくれたおじさんでしょう。
 そんな彼女ですが、彼女もまたカルメル会に入り修道生活を全うし、マリー同様、院長となっています。

 三女はレオニーですが、レオニーこそ、本当に弱いものでした。
 幼少時は特に、また大きくなってからも、人に迷惑をかけてしまうことがどうしてもあり、
騒ぐべきでないときに騒いでしまう、勉強も全くできない、
怒られると謝るもすぐにまた同 じことを繰り返す、
そして、さらには、そうしかできない自分への防衛としてか、一時期はウソや偽善を身に着けてしまったことも…。
 テレーズは弱いものとして自分を
「小さい花(大輪の花である聖人方と比較して)」とか
「産 毛の小鳥(鷲のような聖人方と比較して)」とかと呼びましたが、
レオニーは自分のことを
「のろま」「のろまなあひる」と呼びました。
(子供時代に学校など でそう呼ばれたことからくるようです。)
 小さいときはともかく、ある程度の年齢になったレオニーは、自分が本当にそれ以上のもの ではないことを理解していました。
 10才年下の妹テレーズに勉強を教えてもらわねばならない時もありました。
 そして、レオニーもまた聖性へのあこがれによって、修道女になろうと何度も試みましたが、 そのたびに充分な適性(能力?)がないとして修道院から家へ帰されました。
 3度目の聖母訪問会への入会でようやく希望をかなえることができ、終生祈りの生活を送りました。
 テレーズは、もちろん小さな道を見つけた小さき花の聖人ですが、同時にそれを人に伝 えるだけの知恵のある才女でもありました。
 が、レオニーはまた違ったやり方で、その小さな道を本当に理屈でなく生きたような感じが あります。
  テレーズほどに有名でないこのレオニーもまた、私は愛おしくてならないのです。

 さて、四女はセリーヌです。
 彼女は、活発という点ではポリーヌに似ていましたが、芸術的な才能を示したという点にお いて、少しばかり他の姉妹たちと違っていました。
 リジュー大聖堂つきのルペルティエ神父から絵画の遠近法をならったことをきっかけとし て、絵を描くことが好きになり、
その絵の才能を見て、父ルイは「パリの良い絵画の先生につかせて才能を伸ばしたらどうか」 と言いましたが、セリーヌもまた修道女となる道を選びました。
 また、セリーヌは、当時としては珍しい写真の技術も身につけていました。
 そのおかげでテレーズの修道院内での姿をはじめ、貴重な写真が残されているのです。

 さて、次はようやく五女テレーズですが、今回の投稿もすでにかなり長くなってしまいました。
 ですので、テレーズについては、次回にしようかと思います。
 あ、テレーズだけでなく、父ルイ・マルタンについてもまだでしたね。失礼しました。
 あんまり寡黙な方なものだから、前半あんまり登場されないんです。
 それでは、次回テレーズと父ルイについて、つづります。
では、また。

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