ゆうれい in 聖書 ?
私は霊感がまったくなくて、ゆうれいを見たことはないのですが、世間では見たという話もけっこう聞きます。
私は人一倍こわがりで、そういう系統の話はとても苦手です。恥ずかしながら、おとなになった今でさえ、たまに思い出すと夜眠れなくなったりすることがあるくらいです。
でも、ゆうれいって本当に存在するのでしょうか?
見えない、聞こえない、感じられない私にはなんともわからないのですが、困ったときはまず聖書(?)ということで、聖書を開いてみました。
すると、本当に聖書でゆうれいについて言及してある箇所がいくつかありましたので、今日はそれについて書きたいと思います。
検証
湖の上を歩かれる
ひとつめは、キリストが湖のうえを歩かれた場面です。(マタイ14‐22、マルコ6‐45、ヨハネ6‐16)。
湖のうえを歩いてくる人影を見て、弟子たちは「ゆうれいだ!」とさけび声をあげます。それにたいしてキリストは、「恐れることはない、わたしだ」と答えられます。
「ゆうれいなんているはずがないだろう」とか言われずに、「いや、わたしだ」といわれるわけです。
これは、どうもゆうれいがいるという前提で会話がなされたように思われます。
復活後
そして、ふたつめ、こちらはより決定的ですが、キリスト復活後の場面です。(ルカ24‐36)
弟子たちの前にキリストがあらわれ、弟子たちはまたもやゆうれいを見ているのだと考えて恐れます。
するとキリストは、
「なぜおそれるのか。ゆうれいには肉も骨もないが、私にはある」といって、手足を見せられ、さらには焼き魚をみなの前で食べてみせられました。
結論
もう確定です。キリストのことばを信じるならば、ゆうれいは存在するとしかいえません。現代科学をもってゆうれいを否定する記事をよろこんで受け入れたいわたしですが、科学が万能ではないこともわかりますし…。
けっきょく、この考察でなにを得たのか我ながらわかりませんが、とりあえずわたしはこれからもゆうれいを怖がる生活を続けなかればならないことはわかりました。
弟子たちも、ゆうれいかと怖がったついでに、もし本物のゆうれいに会ったらどう対応すればいいのかイエス様に聞いてくれていたらよかったのに…。