こんにちは。
第五戒は、「殺してはならない」です。
とても一般的な掟ですね。
大体、どのような社会もこういう決まりはあるのではないかと思います。
少し面白いこととしては、旧約聖書において、正確には命令形でも禁止形でもなく、「あなたは、殺さない」という宣言のような形になっているということです。
「殺すな」でもなく、「殺してはならない」でもなく、「あなたは、殺さないよ」「殺すのはあなたの本来の道ではないよ」と、私たちを造り私たちを誰よりも知っている神が、私たちに説いている感じです。
でも、実際、自由を与えられている私たちには、神から離れて誰かを殺す可能性はあるわけで、この宣言のような形のまま現代語に訳すと誤解を招きます。
ですから、一般的な訳し方としては、「殺すな」とか「殺してはならない」というふうになるわけです。
それから、この「殺さない」の目的語には、他人だけではなく、自分も入ります。自殺を罪とするのは教会の伝統ですが、それはちょっと時に厳しすぎることもあったのかなと思います。(参考;カトリックでは、自殺すると地獄に行くとするが、本当か)
また、蛇足ですが、日本の法律では、刑法199条で「人を殺した者は、死刑または無期もしくは五年以上の懲役に処する」と定められています。
法律は、宗教や道徳などの倫理訓とは違いますので、「殺すな」と言うのではなく、「殺したら国家はどうするか」を定めているのが面白いところです。確かに、殺すなと命令したって、殺す人は殺すでしょう。せいぜい抑止力になるのは罰則くらいで。
現実として、人間が社会を作っていくときにお互いに強制できるのは、こういった次元までになるのではないかと思います。これは、律法と福音の守備範囲の違いでしょうね。(だから、律法=法律は他人に強制できても、福音=宗教はできません。)
この第五戒はたまたまほぼ被っていますが…。
さらに蛇足ついでですが、この法律で言う「人」には、神の第五戒と同じで自分自身も入ります。
ですから、自分自身を殺したら(自殺)それも一応違法のはずなんですけど、死刑とかの罰則をつけても死にたい人にとっては抑止力にはならないし、そもそも自殺した人を処罰するというのもどうも変だしで、可罰性や責任が阻却され、通常罪に問われることはありません。
でも、本人に可罰性はないとはいえ、行為自体は一応は違法行為なので、それを手伝ったり煽ったりするとアウトです。(自殺ほう助・教唆)
もし安楽死を合法化するということになると、こうした法律構成も変えなければいけなくなるんでしょうかね。
でも、きっと本来、それが他人でであっても自分であっても、とにかく「殺すのは、私たちの道ではない」のです。罰則やなんかに関わらず、根源的に。
でも、私たちはそうしたくなることがあるからこそ、神様はそう念押しするように言われているのでしょう。
空を飛ぶ鳥が水の中で泳いで暮らそうとしても、それは鳥の本来の道ではないから、苦労するでしょう。
同じように、私たちを造られた神様がそうおっしゃっているのですから、きっとそれは確かなものだと思うのです。
今日も読んでくださってどうもありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
第五戒「殺してはならない」
まじめな教義・聖書の話
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