髪型交々
こんにちは。
今日は、知ってもあまり役に立たないカトリック伝統のトリビアのパート 2 です。(パート1 はこちら:コンクラーベのトリビア(知ってもあまり役に立ちません))
今回は髪型についての話です。
カトリックにおける、昔の男性聖職者の髪型をご存知でしょうか。
知らない、思いつかないなぁ…という方も、「歴史の教科書に載っていたフランシスコ・ザビエルの肖像画」と言われれば、ピンとくるのでは。
口語としては「M 字型(薄毛)」等と並んで「ザビエル型」と言っても結構通じるのではないかと思うのですが…、どうでしょうか。
そう、あれはなにも、彼の個人的な趣味とか体質とかによる髪型ではありません。
かつてのカトリック教会聖職者の公式なヘア・スタイルで、「トンスラ」と呼ばれます。
別に何も可笑しいものではないはずなのに、なぜか「トンスラ」という名称までも面白く思えてきます。トンスラ、トンスラ、フフフ。
今日はこのトンスラはどこから来たのか、どういうものだったのか、少し見てみたいと思います。
トンスラの形体
トンスラというのは、ラテン語で「剃髪」という意味です。
髪の毛を剃るというのは、キリスト教以外での宗教でも見られます。
それはやはり、洋の東西を問わず、しばしば髪の毛というものが装飾などの俗世的な要素を含むと見なされてきたということでしょう。
ですから、本来の意味からすれば、トンスラはカトリックに限ったものではないのですが、実際は半ば固有名詞のようになっていて、カトリック伝統のヘアスタイルを指すことが多いようです。
フランシスコ・ザビエルの肖像画では、頭頂部を丸く剃っているような感じですが、実際はもっと剃る部分が広く、残った髪の部分はあんなに多くなくて鉢巻を頭に巻いたような感じになると言いますか…。
忌憚なく言えば、ザビエルというよりは波平さんの後ろと横の髪が前まで伸びて輪になり、頭を一周した感じというほうが近いと思います。
(バカバカしいながらもかなり正確な供述をしたと自負していますが、万が一日本語の堪能な外国出身の方がこれを読んでいらっしゃいましたらすみません。波平って誰?と近くの日本人に聞いてください。たいてい知っています。)
ともあれこのようなヘア・スタイルはどのように生まれ、広がったのでしょうか。
トンスラの歴史
このヘアスタイルの起源としては、使徒ペトロがキリスト教に反対する人々から髪の毛を切り落とされたという伝説に始まるだとか、
磔刑に処されたキリストがかぶせられたいばらの冠を模したという説などがあるようですが、はっきりはしていません。
が、ともかく、これをまず古代の東方正教会の修道士が回心の印としてはじめ、遅くとも 6世紀ごろには西方教会(カトリック教会)に伝わり、13 世紀にはすべての修道者に強制となるほどまでに広まりました。
ちなみにその後東方では廃れたようです。
6世紀の教皇グレゴリウス一世が、洗礼と堅信を受けた男性信徒を叙階する(司祭にする)際に剃髪式を行っていたという記録があり、それがカトリック教会の記録としては最古のもの、そして直近では、信じられないのですが、第二バチカン公会議の頃まで一応存続していました。
(1972 年パウロ 6 世による使徒的書簡によって公式に廃止)
トンスラ交々
ただ、ペトロに対する尊敬の念であるとか、キリストに対する信心の表れであるとかの理由があったとしても、教義的なものではなく所詮は髪型、こんなに長くよく続いたなという気もします。
しかし、ここでそうした疑問を解くかの面白い記述があります。
中世の大司教であった福者ヤコブス・デ・ヴォラギネ(『黄金伝説』という聖人伝で有名)が、
『トンスラは、不恰好になるから虚栄を排する』と、この髪型の実際的な利を述べているのです。
不恰好……、、そうかも…とはたぶん心のなかで皆が思っていたと思いますが、ハッキリと言い切ってしまっています。いいのでしょうか。
そして、そのことによって虚栄を排する、とは、着飾る気持ちをそぐ、という意味のようです。
つまり、「制服を格好悪くしたら、生徒のほうも着崩したり改造したりする気力が起きなくなるから、結果として生徒の非行防止になる」というのと同じだと思います。
確かにあまりにダサい制服だと、多少ズボンを変えようと、襟を開けようと閉じようと、スカートを短くしようと長くしようと、どうしてもダサいからもう気力が失せるかもしれません。理由なく一人だけ違う制服を着るような悪目立ちもイヤでしょうし。
私事ではありますが、そういう独自の理論(?)を唱えて、赴任する先々の中学校で制服の変更(しかもわざと着たくないようなデザインへ)をしていた校長先生がかつて筆者の地元にいて、当時ははっきり言って非難轟々でした。
が、カトリックで約 1400 年の歴史を持つ「トンスラ」と同じ理屈と考えれば、実はわざと変なデザインの制服にというのもけっこう分があったのかもしれません。
そして、そう考えると、仏教などの他宗教の剃髪がだいたい普通に剃るものであるのに対し(良い意味で常識人という感じがします)、
カトリックのわざと不格好にするというアイディアは、なかなかチャレンジ精神があって、勇者と言いますか…、面白いもののように…思えてきませんか?
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