死海文書の重要性
こんにちは。
今回は、以前ある神父様に聞いた死海文書という文書にまつわる興味深い話をおすそ分けしたいと思います。
死海文書という語、あまり耳慣れた言葉ではありませんが、これは第二次大戦後に死海周辺で発見された、BC(紀元前)250年頃~AD(紀元後)70年頃に書かれた聖書の写本群を指します。
今から2000年以上前の写本で、その当時知られていた写本の一番古いものよりもさらに1000年古いものが見つかったということだそうで、歴史的、考古学的、宗教学的大きな意義を持つものです。
学術的な難しいことはわかりませんので割愛しますが、代わりに、不確かな中で信じるわたしたちにとって、これにどんな意味があるのか、のみに絞ってつづりたいと思います。
時代的背景
「火縄(178)く(9)すぶるバスチーユ」と覚えた人も多いでしょう、あのフランス革命(1789年)の後、絶対王政と深く制度的に関わっていたキリスト教(カトリック教会)は一時期徹底的に弾圧されました。
一時は全仏でミサが制限され、多くの重要な建物が破壊されたりもしました。
その後19世紀はじめにナポレオンがローマ教皇と和解して一応の収束を見せはしましたが、キリスト教を疑問視する風潮は弱まらず、教会は苦しい立場に立たされ続けたようです。
もっとも、それは肥大化したカトリック教会が政治権力と結びつきすぎたことを思うと、ある程度は仕方のないことでもあったのかもしれませんが…。
また、人間の理性を信頼する啓蒙思想(前述の市民革命誕生の土壌ではあるも、それ自体が本来的に宗教批判を含んでいたものではなかったかと思いますが)の一部からは、宗教を前近代的なものと考え、宗教の矛盾をつき論破しようという流れも生まれました。
19世紀後半のフランスの聖人、リジューの聖テレーズ(小さき花の聖テレジア、幼きイエズスの聖テレジアとも)も、こうしたグループの人々から嫌がらせのような仕打ちを受け、大変苦しめられたというようなエピソードもあります。
近現代の幕開けとは、本当に難しい時代だったのですね。
キリスト教批判に伴う困難
ただ、彼らがキリスト教批判をするに当たり、どうしても困難な事柄がありました。
それは、聖書という書物の類まれな完成度の高さです。
それは人智を超えたもののようにすら思われました。
いったいどうやって、このようなものが生まれたのか。
宗教を信じない者としても、この書物の説明しがたい文学的・哲学的な完成度の高さには戸惑いを隠せず、そのため彼らはこのような予想を立てました。
「二千年以上前から伝わっているというのは嘘で、本当は何百年もかけて少しずつ改良を加えてできたものではないか」と。
実は、確かに教義によっては、二千年前の使徒から伝わるものだとされてきたものが、実はそうではなかった、○世紀頃の書物から突然現れるようになっていた、などということも過去にはありました。(まったく、誰が言い出したんだか。)
ですから、聖書そのものが古代~中世の教会によって何百年もかけて作られていたのではないか、という考えは、多少とっぴとはいえ、ある程度の信憑性はあったと言えるのではないかと思います。
ですが、20世紀半ばになって(第二次大戦後)新たに見つかったものが、かの死海文書だったのです。
死海文書登場!
1947年死海周辺の洞窟で偶然ベドウィンの少年が見つけた巻物に始まるとされる死海文書は、放射性炭素年代分析などの技術により、それまでわかっていた聖書の歴史を新たに千年以上さかのぼることができるものでした。
そして、そこに書かれていた聖書の膨大な内容は、今に伝えられているものと驚くべき一致を見せたのです。
なんだか、神様がわたしたちが信じるのを手助けしてくださったようではありませんか?
そういう意味で、死海文書は、学者たちが喜ぶだけのものではなく、信じる人たちもまた喜ぶべきものだったと言えます。
時を越えた神様だから当然ですが、グッド・タイミング!神様ありがとう
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