第四週;一致の道≪復活の観想≫(4)~三人のマリアの表すもの

イグナチオの霊操

マグダラのマリアへのご出現(霊操300,301)
 イエズスはなぜ、初めに女たちに現れられたのだろうか?
 彼らは教会のマリア的シンボル。
それは、愛、受容、待ち望む祈り…。
 活動というペトロ的シンボルのみでは、教会は単なる活動組織になってしまう危険をはらむ。
 まず、復活されたキリストの愛を受け入れ、その愛にこたえて、愛し、働くのである。
活動に先立つ受容が大事なのである。
 「三人のマリア」(イエズスの母マリア、マグダラのマリア、ベタニアのマリア)にならおう。

 聖イグナチオは、教会の役割を考えるにあたり、性別をシンボル化することで、愛・受容の面と、キリストに倣っての活動・伝道の面とを分けて考えることがありました。
 もちろんそれはどちらが大事というものではありません。
 また現代としては性別のステレオタイプ化とも取られかねない、少しばかり扱いにくい題材でもあるのですが、そこには単なるステレオタイプを超えた深みがあると言えます。

 説明がしにくいものではあるのですが、そういえば、ユング心理学の中に、アニマ・アニムスという概念があり、それに少しばかり近いものがあるといえば少しわかりやすくなるかもしれません。
 それは、それぞれ男性性・女性性とでも訳すべきもので、実際の性別とはまた別のものです。
 実際ユングはもともと男性の中に潜む『女性的なもの』を言い表すためにアニマ(女性性)、女性の中に潜む男性的なものを言い合わらすためにアニムス(男性性)という語をつかったのであって、そもそもそれは男性がどうあるべきとか女性がどうあるべきという概念とは別物です。

 この概念はさらに進んで、今では、人間誰しもが心の中に永遠のあこがれとして持つ、愛、受容性、繊細さ、感情の豊かさといったいわゆる女性性的な美徳、また勇ましさ、活動力、論理性、合理性といった男性性的な美徳とを表すものとしても使われうる広い概念です。
 それは人間が無意識下に共通して持つ(ユング心理学の集合的無意識などとも関連)ものを、わかりやすく性別的なシンボルを使って表現したものと言えるでしょう。
 そして、おそらくは、それがこの章でイグナチオの示そうとしたものと近いのではないかと思います。こういう点でも彼の洞察力の深さは感嘆すべきものではないでしょうか。

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